三越の11番目の支店として仙台三越が誕生。地下1階、地上5階、屋上庭園を有する高層建築として話題となる。昭和20年(1945年)に第二次世界大戦空襲で全焼。仙台空襲の約1カ月後には、1階だけで営業再開。昭和24年(1949年)には全館修築工事落成。昭和38年(1963年)増改築工事完了、地下2階、地上7階、旧館の約4倍で総面積東北一の店舗となった。平成4年(1992年)に増床リニューアルオープンし「旬の百貨店」をコンセプトに既存館全面階層とABビル増床。平成20年(2008年)「141ビル」を「定禅寺通り館」とし現在に至る。
1933年
4月1日
4月1日、仙台市の中心地東一番町に、三越11番目の支店として「三越 仙台支店」が開店。
地下1階、地上5階、総床面積4,620㎡、屋上庭園を有する高層建築で、店内各所に最新式設備が施された。
1945年
7月10日
仙台空襲。午前0時過ぎから2時間半にわたって、B29約100機が仙台市中心部に無差別焼夷攻撃を加えたため、市内各所に火災が発生。
焼失家屋は1万2,000戸に及び、仙台支店も焼失を免れなかった。その後復旧して、早くも8月1日には、1階だけとはいえ営業を再開した。
1949年
戦災で無残な焼痕を残していた三越仙台支店は、5月から修築工事をはじめ、9月3日、落成式をあげた。この工事で売場面積は、3,593㎡と、戦前並みに復活することができた。
1963年
11月1日
着工から2年以上を費やした増改築工事が完成。アルミのカーテンウォールによる清楚なイメージの外装で、地下2階、地上7階、塔屋3階、総面積は21,139㎡。旧館のほぼ4倍 に拡張され、東北一の店舗となった。
1972年
三越のライオンは、1905年に三越が新聞紙上で、デパートメントストア宣言をしてからほぼ10年後の時を経て、日本橋三越本店入口の左右に置かれた。モデルは英国ロンドンのトラファルガー広場にある、ネルソン記念塔下のライオン像とされている。2体のライオン像が設置されているのは、日本橋三越本店、福岡三越、仙台三越の3店舗。
1985年
4月27日
1987年の地下鉄開通、1989年の仙台市政100周年などにあわせ、全館リニューアルオープンした。
レディスファッションフロアの拡大、レストランの改装、重衣料から雑貨までメンズトータルファッションフロアの新設、総合サービスセンターの設置、食品フロアの鮮度アップなどがポイントであった。
1987年
3月21日
北隣の再開発ビル141への出店にあわせ、全館をリニューアルオープン。
新しい三越仙台店は、「新鮮なオ・ト・ナ」をメインターゲットにファッション・服飾雑貨・食品の三部門の強化と商品化計画の再構築に重点を置き、自主MD強化と売場活性化のため、23ヶ所に自主編集売場を設置した。
1990年
1992年
10月25日
待望の増床リニューアルオープン。既存店舗の全面改装と、新館ABビルへの増床となる。
新しく館内駐車場、駐輪場を設置し、ゴミのリサイクルシステムを導入するなど、ソフト・ハード面、また、環境面に新しい試みを数多く取り入れ福祉ビルの認定も得た。
開店当時の初心を忘れずに、「必用な時に必用なもの。知りたいときに、知りたいこと。おいしいときに、おいしい味。三越はいつも旬のおもてなし」という百貨店の原点に立ち返って「旬の百貨店」を新しい店のコンセプトとした。
1994年
4月2日
仙台市地下鉄「勾当台公園駅」から本館地下フロアへ通じる地下鉄口が完成。また、これにあわせて、地下1階と地下1階地下鉄口フロアもリニューアルオープンした。
地下鉄口フロアにはファッション雑貨とセルフ方式の化粧品コーナーやステーショナリー売場、地下1階には、お求め安い価格のファッションを集めた「レディスファッションマート」が誕生した。
1996年
1月3日
1月3日の初売りは、前日の午後11時からお並びの方を先頭に、開店待ち人数は、7,500人に及び、一日の来店客数は87,000人に達した。売上も過去最高を記録し、用意した福袋23,000袋も完売した。
2002年
「東北の食文化の殿堂」として、三越フードガーデンオープン。
2008年
4月
11月
順次売り場をリニューアルオープン。
2009年
3月
10月
これまで以上に地域に定着した店舗として、地域事業会社「株式会社 仙台三越」が誕生。
2011年
3月11日
3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震の甚大な被害を受ける。
4月15日
東日本大震災の翌日から建物の外で営業を再開。その後段階的に営業を再開した。
2013年
4月
10月
2014年
3月
2015年
5月
2018年
4月
2022年
6月
2023年
4月1日
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