菓遊庵
おいしいモノがたり。
 
菓遊庵こだわりのお菓子
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果・豆

果実

           

北海道<三星(みつぼし)
よいとまけ

漁村だった苫小牧に製紙工場が建設され、紙の原料となる丸太を工場で上げ下ろす作業の際「よいとオまいたァ」というかけ声が響いていました。初代社長の小林正俊は幼い頃から耳にしたこの「かけ声」や目にした「丸太」、そして勇払原野に自生する「ハスカップ」を盛り込んだ苫小牧を代表するお菓子づくりに取り組み、1949年(昭和24年)に『よいとまけ』が誕生。丹念に焼き上げた上質カステラで甘酸っぱいハスカップジャムを巻き上げ、さらに外側全体にもたっぷりとジャムを塗ったロールケーキです。ベタつきを防ぐ為、表面をグラニュー糖でオブラートし「日本一食べにくいお菓子」とも呼ばれていますが、その独特の甘さがクセになると多くのファンに支持されている逸品です。

山形県<()梅本舗 佐藤屋(うめほんぽ さとうや)

初代佐藤松兵衛が、現在本店のある十日町に菓子屋を創業。以来180余年にわたり菓子づくり一筋に努めてきました。創業当時の山形は出羽三山参りの宿場や、紅花を主とした商業の町として栄え、佐藤屋のある十日町周辺がその中心地でした。山形の銘菓『乃し梅』は乃し梅本舗 佐藤屋を代表するお菓子です。山形産の梅のみを使用し、『乃し梅』をはじめとした梅製品を製造しています。

()(うめ)

その昔、紅花から紅をとるには、梅の酸が必要とされ、山形では紅花と共に梅の栽培が盛んに行われていました。梅を使った菓子の起こりは古く江戸時代にさかのぼります。山形城主の典医小林玄端が長崎に留学のおり、中国人から伝授されたという秘伝の気付薬が『乃し梅』の起源と伝えられています。後年、幾多の改良のすえ、銘菓としての味わいと形をととのえ、現在に至っています。山形盆地に産する完熟した梅を原材料とし、伝統の手法にてつくりあげました。ふくいくたる梅の香りと、さわやかな酸味をお楽しみください。

梅時雨(うめしぐれ)

山形の完熟した梅を原材料として製造した『乃し梅』を、細かく時雨状に切り砂糖をまぶし、更に乾燥させて出来上がったお菓子です。ほのかな梅の香りと甘酸っぱい味をお楽しみください。細くしぐれ状にしたところからの命名です。

茨城県<井熊總本家(いくまそうほんけ)
水戸(みと)(うめ)

1890年(明治23年)、初代小林熊次郎が修業していた老舗菓子店井筒屋の屋号から井の文字を譲り受け、自身の名前から熊の文字を取り<井熊>と命名しました。明治時代の県令安田定則の奨めにより、井熊總本家初代小林熊次郎が偕楽園の梅の実を模して創製した物が『水戸の梅』。白小豆餡を求肥で包み、さらに蜜漬けにしたしその葉で包み、仕上げています。蜜を表面に塗り上げ、上品で香り豊かなお菓子です。

長野県<飯島商店(いいじましょうてん)
みすず(あめ)

明治の時代、飯島商店は雑穀商を営むかたわら東京深川近郊でおきた洪水がもとで大量の冠水米をどう処理するか、相談をもちかけられたことに端を発し水飴の製造に着手しました。思いのほか、上質な水飴ができ上がり評判も良く、その後水飴に信州特産の果物や寒天を加えて製する『みすず飴』ができ上がりました。
『みすず飴』は、信州特産の杏・桃・りんご・ぶどうに和歌山産の三宝柑・梅を加えた6種の完熟した果実に上質な砂糖・水飴・寒天を加え、独自の製法にて仕上げたゼリー菓子です。保存料・着色料は一切使用しておりませんので、自然の風味そのままお楽しみいただけます。

岐阜県<槌谷(つちや)
柿羊羹(かきようかん)

柿羊羹の槌谷は、今から240余年前、1755年(宝暦5年)創業。薩摩義士による宝歴治水工事が完成した翌年に、大垣十万石のご城下で、園助という人が柏屋光章という屋号で店を開いたのが始まりです。
柿羊羹は、四代目右助が、美濃国特産の堂上蜂屋柿を使用して1836年(天保9年)に創りました。五代目祐斉が、親友で竹の研究家であった坪井伊助翁が言った「竹と柿は相性が良い」とのヒントを得て、苦心の末、1896年(明治29年)に独自の竹の容器入り『柿羊羹』を発売しました。

大阪府<喜多林堂(きたりんどう)
鴬林梅(おうりんばい)

有平糖菊の露本舗喜多林堂は1895年(明治28年)初代鶴澤伝六により大阪の宗右衛門町にて創業しました。「有平糖菊の露」は白双糖のみを使用した昔ながらの直火焚きの手造りの飴です。
「鶯林梅」は沖縄県産黒砂糖とオリゴ糖を煮詰めて、梅肉エキスを練り込んだ商品。甘酸っぱい風味はスポーツやご旅行のお供に最適です。製品になるまでの工程の一部では機械化もしていますがここ一番というところは、やはり人間の五感が必要です。味を創り出すのではなく素材の持っている特長を最大限に引き出すことを第一に製品作りをしています。

京都府<豆政(まめまさ)
夷川五色豆(えびすがわごしきまめ)

1884年(明治17年)、初代角田政吉が京都夷川の地で創業。京名物『夷川五色豆』を考案、大正天皇の献上菓子としても重用、八ツ橋と並ぶ京名物となりました。良質の豆に拘り、独特の製法と「京の湧き水」を使った拘りの仕込みで豆菓子や豆を使った数々の京菓子・和菓子を作り続けています。
商品は王朝以来、幸福を祈るとき必ず使われている瑞色といわれるものを使用しています。青は木、黄は土、白は金、黒は水を表し、大地を象徴するとされています。また京友禅流しを表した色とされています。
厳選された上質のえんどう豆を、京都の清水にて三日をかけて柔らかく水浸しし、ゆるやかな火にかけてじっくりと煎り上げます。豆に煮立たせた砂糖をまんべんなくからめ、この砂糖掛けは五日かけて五回の砂糖掛けを繰り返します。五色の衣をまとった『夷川五色豆』は優雅な姿となるまでに十日間の日数をかけてじっくりと作り上げられます。

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