菓遊庵
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新潟県<越乃雪本舗大和屋(こしのゆきほんぽやまとや)
越乃雪(こしのゆき)

1778年(安永7年)に長岡藩9代目藩主、牧野忠精候より『越乃雪』の名前を賜り、1809年(文化6年)に藩の御用達を命じられました。その後参勤交代の持参品のひとつとしても、寺社仏閣へ広く知られるようになりました。
『越乃雪』は越後特産の餅米を独自の製法で粉砕した粉と、230年前の創業当時から使用している徳島の和三盆糖を押しものにしたものです。この2つのシンプルな素材を押しものに仕上げるのに大事なことは、あまり他の押しものにみられない『越乃雪』独特の「しとり」を加えることです。「しとり」とは職人の勘がたよりの技であり、口溶けのよさと、柔らかいのに形を保つためにも大変重要なことです。美しい越路の山々に清らかに降る雪になぞらえてうまれた詩韻に富んだ姿形で、きめ細やかで風味が上品なため、お茶人など、広く愛用され抹茶の点心としてお使いいただいています。

長野県<栗田製菓所(くりたせいかじょ)
塩羊羹(しおようかん)

戦国時代、塩不足に難渋していた武田領信濃に、敵方であった越後の名将上杉謙信が「争う所は弓矢にあり、米・塩にあらず」として塩を送り住民を救いました。塩羊羹はその故事に因みその徳を後世に伝えるべく、古くより伝わる製法を調整して今日に至ります。天然天日塩の風味と本練のコクが程よく調和した、いつまでも飽きのこない味です。

長野県<飯島商店(いいじましょうてん)
みすず(あめ)

明治の時代、飯島商店は雑穀商を営むかたわら東京深川近郊でおきた洪水がもとで大量の冠水米をどう処理するか、相談をもちかけられたことに端を発し水飴の製造に着手しました。思いのほか、上質な水飴ができ上がり評判も良く、その後水飴に信州特産の果物や寒天を加えて製する『みすず飴』ができ上がりました。
『みすず飴』は、信州特産の杏・桃・りんご・ぶどうに和歌山産の三宝柑・梅を加えた6種の完熟した果実に上質な砂糖・水飴・寒天を加え、独自の製法にて仕上げたゼリー菓子です。保存料・着色料は一切使用しておりませんので、自然の風味そのままお楽しみいただけます。

富山県<月世界本舗(つきせかいほんぽ)
月世界(つきせかい)

創業は1897年(明治30年)、『月世界』は、新鮮な鶏卵と和三盆、白双糖を煮詰めた糖蜜と合わせて乾燥した口当たりのよい上品な菓子で、富山を代表する銘菓です。
1900年(明治33年)月世界本舗の創業者吉田榮吉創案の干菓子。暁の立山の山稜に浮かぶ淡い月影を毎日眺めているうちに、この幻想的な光景を菓子にしたいと考え創製したものです。泡立てた卵白に砂糖を煮詰めた蜜を入れ、型に流し込み一昼夜かけて乾燥させてからカステラのように端を切って四角く成形します。乾燥は昔は炭火でしたが、現在は電気で行い、この加減は大変難しく、熱すぎても弱すぎてもダメであり、季節や天候による微妙な温度調節も必要になります。サクッとした歯ざわりと口の中で淡く溶けていく甘さが特長です。

石川県<柴舟小出(しばふねこいで )
柴舟(しばふね)

1917年(大正6年)に初代定吉が金沢市の六斗林に小さな仕事場を構え、菓子づくりを始めました。二代目弘夫の創意工夫と努力によって今の柴舟(ほどよい反りかげんの小判型に、うっすらと雪をはいたような白砂糖の化粧引き)が作られました。柴舟は藩政期から庶民に親しまれてきたお菓子です。上白糖と生姜汁を煮沸して冷却した後、さら摺り戻した蜜を一枚ずつ刷毛でていねいに手で塗って一晩乾燥させています。今でも昔と変わらない製法でつくられています。

石川県<落雁諸江屋(らくがんもろえや)
(はな)うさぎ

1849年(嘉永2年)初代は加賀藩士与力より落雁商を創業地にて開業。加賀名菓の伝統を今に伝え、七代160年。御得意繁昌との金言を守り続けて今日まで来ています。
寒梅粉と和三盆糖を用い、一粒一粒が舌の上でとろける上品な甘さに仕上げています。和紙に包んだ姿が可愛いうさぎに似ているのが特長。諸江屋三代目栄次郎が真宗報恩講のおけそくさんとして門徒衆に分けていた仮稱「猫の足」を上落雁に改良したと伝わっています。

石川県<松葉屋(まつばや)
(つき)よみ山路(やまじ)

1852年(嘉永5年)、花山法皇により開かれ、芭蕉の「石山の石より白し秋の風」と詠まれた加賀の名刹「那谷寺」の門前にて、寺侍那谷吉兵衛が茶店で羊羹を商ったのが松葉屋の創業。御維新の頃南加賀の中心、小松城下に移り150余年、現当主で五代に渡り、のれんを守り続けています。 創業以来の伝統的製法を守り、1棹ずつ手作りで仕上げる代表銘菓『月よみ山路』は良寛坊御歌「月よみの光を待ちて帰りませ 山路は栗のいがの多きに」より菓銘を付した栗むし羊羹。あっさりと炊き上げたさらし餡のつなぎに葛を用い、竹皮にて包み蒸し上げています。切っても切っても栗が出ると評されるごとく、もっちりした食感の餡から顔を出すほっこりとした大粒の栗が特長です。

岐阜県<槌谷(つちや)
柿羊羹(かきようかん)

柿羊羹の槌谷は、今から240余年前、1755年(宝暦5年)創業。薩摩義士による宝歴治水工事が完成した翌年に、大垣十万石のご城下で、園助という人が柏屋光章という屋号で店を開いたのが始まりです。
柿羊羹は、四代目右助が、美濃国特産の堂上蜂屋柿を使用して1836年(天保9年)に創りました。五代目祐斉が、親友で竹の研究家であった坪井伊助翁が言った「竹と柿は相性が良い」とのヒントを得て、苦心の末、1896年(明治29年)に独自の竹の容器入り『柿羊羹』を発売しました。

愛知県<備前屋(びぜんや)
あわ(ゆき)

1782年(天明2年)創業。初代備前屋藤右衛門が徳川家康生誕生の地、岡崎の伝馬通りに店を構え、以来、東海道の宿場町の歴史ある菓子舗として多くの方々に親しまれています。
江戸時代、岡崎宿の茶店「あわ雪茶屋」で供された「あわ雪豆腐」は東海道名物として旅ゆく人々に高評を博していました。やがて明治の訪れとともに宿場町が廃れ「あわ雪豆腐」も消えゆこうとしたときに三代目藤右衛門がその名を菓子に残さんと創作したのが銘菓『あわ雪』です。泡立てた新鮮な卵白を主原料とした淡雪のようにまろやかで、きめ細かく淡白な味わいは三河地方を代表する銘菓として長く親しまれています。

三重県<深川屋陸奥大掾(ふかわやむつだいじょう)
(せき)()

東海道の47番目の宿場町「関宿」。今なおその歴史的な町並みが残り、当時の隆盛ぶりは店舗の中心に残る「庵看板(屋根看板)」や虫籠窓、連子格子などにうかがうことが出来ます。この地で、初代服部伊予保重により寛永年間に考案された銘菓『関の戸』を360年以上作り続けています。天保年間には京都御室御所より、従二位服部陸奥大掾の名を賜り御用菓子司となり『関の戸』を納めていたと言われ、その様子は今に残る「荷担箱(にないばこ)」から想像できます。
舌触りのよい赤小豆のこし餡を求肥皮で包み、阿波の特産「和三盆」をまぶした一口大の餅菓子です。その様は、関宿の背後にそびえる鈴鹿の嶺にふり積もる白雪をなぞらえたと言われています。

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